2014年11月11日
ひぎゃ節フェスティバル御一行様 後篇
奄美民謡武下流の師匠と門下生からなる

ひぎゃ節フェスティバル出演の御一行様、コンサートの翌日は島内観光です。
島内観光される方は総勢36名。滅多に出ない大型バスが出動です。
喜界島では大型バスが走れる道路が限られておりますから、前日まで運転手さんと打合せ、当日。。。

はい。見事に雨です(爆)
午後からの天気もはっきりしない感じだったので、コースを変えることはせず、開き直って
6時間バスガイド喋りっぱなし(爆)
の決意を固めました。
雨に加え、風も強く、降りることもままならず、車中から悪天候の風景を見ていただきながらも

美しい風景は

龍安寺の石を数えるがごとく
心の目で見ていただきます(爆)
悪天候の中でも

中央公民館や

百之台公園に立ち寄り、お昼過ぎからはむちゃ加那公園へ

奄美民謡の舞台でむちゃ加那節をみんなで合唱です。
総勢36名による島唄の合唱はそりゃもう圧巻でした。
むちゃ加那公園に行ったころから天気は回復し始め

塩道長浜公園で塩道長浜節を合唱する頃には

青空が見えてきて


老人ホームでの慰問を終えるころには、皆さん「暑い暑い」言うて、ふーふーしておりました。
唄の力って凄いです。
その証拠に




酒蔵見学を終えるころには、
朝と同じく暴風雨でした(爆)
晴れる為には、唄い続けないといけないようです。
夜には美味しいお酒をたっぷり飲んで、翌日には

飛行機で帰る方々を三味線と太鼓と踊りでお見送り。
唄で感動を与える方々は非常にノリが良く、私のゴマかしだらけのトークにも良いリアクションを取っていただき、

ツアー中にバスの中でせっせと作った

ソテツの一輪差しまで頂きました。ありがとうございます。

ひぎゃ節フェスティバル出演の御一行様、コンサートの翌日は島内観光です。
島内観光される方は総勢36名。滅多に出ない大型バスが出動です。
喜界島では大型バスが走れる道路が限られておりますから、前日まで運転手さんと打合せ、当日。。。

はい。見事に雨です(爆)
午後からの天気もはっきりしない感じだったので、コースを変えることはせず、開き直って
6時間バスガイド喋りっぱなし(爆)
の決意を固めました。
雨に加え、風も強く、降りることもままならず、車中から悪天候の風景を見ていただきながらも

美しい風景は

龍安寺の石を数えるがごとく
心の目で見ていただきます(爆)
悪天候の中でも

中央公民館や

百之台公園に立ち寄り、お昼過ぎからはむちゃ加那公園へ

奄美民謡の舞台でむちゃ加那節をみんなで合唱です。
総勢36名による島唄の合唱はそりゃもう圧巻でした。
むちゃ加那公園に行ったころから天気は回復し始め

塩道長浜公園で塩道長浜節を合唱する頃には

青空が見えてきて


老人ホームでの慰問を終えるころには、皆さん「暑い暑い」言うて、ふーふーしておりました。
唄の力って凄いです。
その証拠に




酒蔵見学を終えるころには、
朝と同じく暴風雨でした(爆)
晴れる為には、唄い続けないといけないようです。
夜には美味しいお酒をたっぷり飲んで、翌日には

飛行機で帰る方々を三味線と太鼓と踊りでお見送り。
唄で感動を与える方々は非常にノリが良く、私のゴマかしだらけのトークにも良いリアクションを取っていただき、

ツアー中にバスの中でせっせと作った

ソテツの一輪差しまで頂きました。ありがとうございます。
2014年11月10日
ひぎゃ節フェスティバル御一行様 前篇
先週の土曜日は

奄美民謡武下流の師匠と門下生の方々が休養村でチャリティコンサートでした。
2ヶ月ほど前に、主催者の方から後援依頼を受け、毎度のごとく軽く受け、お手伝いすることになりました。
おかげさまで前売りは好調。当日券も若干あるということで、スピーカー付きの車で各集落を周った後は

準備です。休養村じゃ椅子が足らないので、今回も体育館から拝借です。結構この作業、きついんですけど慣れました(爆)

お昼前にはリハーサルも終わり

開場時間になるころには

瞬く間に満席です。
開演の頃には事務所で別のお仕事を済ませておりまして、
再度会場に来た時には




ご覧のような盛り上がりでした。
で最後は


皆さん踊って

六調でフィニッシュ。
東京、大阪、鹿児島、奄美大島から集った総勢約60名によるバラエティー豊かなチャリティコンサートは
大盛況に終わりました。
今回出演された方々は翌日、観光バスで島を周るということで、私がバスガイドをすることになりました。
というわけで後半はバスガイド編です。

奄美民謡武下流の師匠と門下生の方々が休養村でチャリティコンサートでした。
2ヶ月ほど前に、主催者の方から後援依頼を受け、毎度のごとく軽く受け、お手伝いすることになりました。
おかげさまで前売りは好調。当日券も若干あるということで、スピーカー付きの車で各集落を周った後は

準備です。休養村じゃ椅子が足らないので、今回も体育館から拝借です。結構この作業、きついんですけど慣れました(爆)

お昼前にはリハーサルも終わり

開場時間になるころには

瞬く間に満席です。
開演の頃には事務所で別のお仕事を済ませておりまして、
再度会場に来た時には




ご覧のような盛り上がりでした。
で最後は


皆さん踊って

六調でフィニッシュ。
東京、大阪、鹿児島、奄美大島から集った総勢約60名によるバラエティー豊かなチャリティコンサートは
大盛況に終わりました。
今回出演された方々は翌日、観光バスで島を周るということで、私がバスガイドをすることになりました。
というわけで後半はバスガイド編です。
2014年11月08日
お家断絶の危機回避の旅 その6

日本の奥座敷と呼ぶにふさわしい
平泉寺を堪能した後は

勝山城下で
地元の乳牛の乳でつくったアイスをいただき


かつて養蚕で栄えた時代にタイムスリップです。

この日の天気はあいにくの雨ということもあり、体験コーナーは大賑わいでした。
この施設は地元のNPO団体が運営しているそうです。


勝山名物のおろしそばとソースカツ丼を頂きながら
勝山市の観光協会の事務局長ともお話が出来ました。
受入体制の確立や情報発信の方法まで
私が喜界島で目指すべき姿を具現化している部分が多くあり、とっても勉強になりました。
勝山を知るにはこのページが良く分かります。
勝山ふるさと物語
午後からは恐竜三昧ということで、向かったのは


福井県立恐竜博物館
今や福井県の代名詞となっている「恐竜」コンテンツがギュッと詰まった施設です。
ちなみにこの施設、設計は今は亡き高名な建築家の手によるものだそうで、周囲の里山の景観とのバランスに配慮した外観でした。

連休の中日ということもあり、駐車場には他県ナンバーの車がズラリ。
で、中は超満員。チケットを求めて1時間待ちぐらいの行列が出来ていました。


太古の歴史を深く知ることが出来るとともに


テクノロジーを取り入れた仕掛けも盛りだくさんでした。
この施設、ターゲットは子供をメインにしたファミリー層。
なので、子供が喰いつく展示になっておりました。
敷地内には地元の事業所もお店を出しており



男心をくすぐる体験コーナーもありました。

博物館からはシャトルバスが運行し

現在発掘中の土砂を使った

発掘体験も行われておりました。
発掘体験の受け入れは学芸員さんだけじゃなく、地元のNPOも参加しているそうです。
喜界島でも

遺跡が次々と発掘されており、「発見」だけじゃ終わらない展開が必要なので非常に勉強になりました。。。
と、朝から夕方までじっくり勝山を堪能することが出来ました。
以前の記事でも書いたように
普段お客様と接する方々が受入の主人公となり、目の前のお客さんに「いかに喜んでいただけるか」を真剣に考え、実行していくことでサービスとして確立させていく姿を実際に見ることが出来、大変勉強になりました。
喜界島の観光はまだまだ未熟ですが、目指すべき手本が見えたことで、「今、何をすればいいか」に繋がっていければと思います。
アテンドしていただいた松村さん、ありがとうございました。
また、このようなご縁をいただいた川畑さん、ありがとうございました。
2014年11月07日
お家断絶の危機回避の旅 その5
恐れ多くもありがたい、勝山副市長による勝山観光は

越前大仏からスタートです。
勝山出身者が資材を投じたこの社殿、中のご本尊は奈良のよりも大きいのだそうです。
あとビックリなのが敷地面積。
社殿や門だけじゃなく、門前町まで作ったそうです。
こんだけ広けりゃ

ソードアクション満載な映画のロケ現場にうってつけかもしれません。
ハリウッドの映画関係者にオススメしたい所です。
続いて向かったのが

平泉寺。参道途中にある施設からガイドさんが案内してくれました。
神社に向かう参道には


北陸最古の庭園もありました。
なんといってもすごいのは地面にびっしり生えた”苔”
雨模様の天気だったこともあり、フカフカな絨毯のようでした。



写真だけじゃ表せない、独特の雰囲気は病みつきになりそうです。
外国人の方々にも好評で、年間35万人の方が訪れるのも納得できます。


ここら辺一帯は6千人のお坊さんがいたそうです。
敷地面積が広大なことから、発掘がいつまでたっても終わらないんだそうです。
それにしても広大な敷地に大勢の僧侶
教育、医療、エンターテイメントと
昔の宗教は総合サービス業だったなあと思うのでした。
京都とは違い、どことなく落ち着いたたたずまいで歴史を重ねてきた平泉寺一帯は
まさに日本の奥座敷と呼べるのかもしれません。

越前大仏からスタートです。
勝山出身者が資材を投じたこの社殿、中のご本尊は奈良のよりも大きいのだそうです。
あとビックリなのが敷地面積。
社殿や門だけじゃなく、門前町まで作ったそうです。
こんだけ広けりゃ

ソードアクション満載な映画のロケ現場にうってつけかもしれません。
ハリウッドの映画関係者にオススメしたい所です。
続いて向かったのが

平泉寺。参道途中にある施設からガイドさんが案内してくれました。
神社に向かう参道には


北陸最古の庭園もありました。
なんといってもすごいのは地面にびっしり生えた”苔”
雨模様の天気だったこともあり、フカフカな絨毯のようでした。



写真だけじゃ表せない、独特の雰囲気は病みつきになりそうです。
外国人の方々にも好評で、年間35万人の方が訪れるのも納得できます。


ここら辺一帯は6千人のお坊さんがいたそうです。
敷地面積が広大なことから、発掘がいつまでたっても終わらないんだそうです。
それにしても広大な敷地に大勢の僧侶
教育、医療、エンターテイメントと
昔の宗教は総合サービス業だったなあと思うのでした。
京都とは違い、どことなく落ち着いたたたずまいで歴史を重ねてきた平泉寺一帯は
まさに日本の奥座敷と呼べるのかもしれません。
2014年11月07日
お家断絶の危機回避の旅 その4
今回の帰省、実はとある不安を抱えてました。
それは
最終日前日、関西の宿が取れない
というもの。
10:00に伊丹空港を出発する飛行機に乗る為には、前日に大阪府内に宿泊する必要があるのですが、
丁度その頃この国では

屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れる国民的行事が開催されておりまして、しかも宿泊予定日のあたりは
兵庫県西宮市にある格闘場が開催地になっておるものですから
関西方面の宿泊施設、全て満室
という状態となっておりました。
最終日は始発で福井を出発というプランに怯えておったわけですが。。。

国民的行事、福岡で無事終了!と、めでたく新大阪の宿を確保することが出来、安心して
福井県は勝山市に行くことが出来ました。

JR福井駅から約1時間。一両編成なえちぜん鉄道の終点にある


勝山駅は風格のある駅舎でした。


駅舎内のカフェや

駅前のお土産店兼食堂もポイント高いです。
と、旅情にふけっておると、
7月に喜界島をご案内させていただいた勝山市の副市長がいらっしゃいました。
で、なんとも恐れ多いご案内の元、勝山市を巡ります。
それは
最終日前日、関西の宿が取れない
というもの。
10:00に伊丹空港を出発する飛行機に乗る為には、前日に大阪府内に宿泊する必要があるのですが、
丁度その頃この国では

屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れる国民的行事が開催されておりまして、しかも宿泊予定日のあたりは
兵庫県西宮市にある格闘場が開催地になっておるものですから
関西方面の宿泊施設、全て満室
という状態となっておりました。
最終日は始発で福井を出発というプランに怯えておったわけですが。。。

国民的行事、福岡で無事終了!と、めでたく新大阪の宿を確保することが出来、安心して
福井県は勝山市に行くことが出来ました。

JR福井駅から約1時間。一両編成なえちぜん鉄道の終点にある


勝山駅は風格のある駅舎でした。


駅舎内のカフェや

駅前のお土産店兼食堂もポイント高いです。
と、旅情にふけっておると、
7月に喜界島をご案内させていただいた勝山市の副市長がいらっしゃいました。
で、なんとも恐れ多いご案内の元、勝山市を巡ります。
2014年11月06日
お家断絶の危機回避の旅 その3
帰省も3日目。ようやくメインイベントです。
朝もはよから向かった先は

福井県は福井市にある国指定登録有形文化財なお店でした。

お式は新前

でもこういうところは今風です。
弟と会うのはかれこれ6年ぶりなものですから、最初再会した時は私と分からなかったようです。。。
でも仲が悪いってわけじゃないですよ。多分。

式は無事に終わり、お店の2階で披露宴でした。


弟は高校を出てからはずっと福井に居るので、出席者は福井の方々が殆どでした。
決して、我が家がアウェイ状態だったと言ってるわけではございませんよ。




料理も大変美味しゅうございました。
お店がお店なもんですから、どんちゃん騒ぎのような余興はございませんでしたが


お座敷遊びはございました。
昔繊維で栄えた頃は、そりゃもう絢爛豪華だったそうです。
新郎一族を代表して挨拶する原稿を実家に忘れる
というハプニングもございましたが、披露宴も無事終了。
幸せもいっぱい分けていただきました。おめでとうございます。
で、新婚旅行は喜界島ではなくイタリアだそうですが、
決して仲が悪いという訳ではありません。多分。
朝もはよから向かった先は

福井県は福井市にある国指定登録有形文化財なお店でした。

お式は新前

でもこういうところは今風です。
弟と会うのはかれこれ6年ぶりなものですから、最初再会した時は私と分からなかったようです。。。
でも仲が悪いってわけじゃないですよ。多分。

式は無事に終わり、お店の2階で披露宴でした。


弟は高校を出てからはずっと福井に居るので、出席者は福井の方々が殆どでした。
決して、我が家がアウェイ状態だったと言ってるわけではございませんよ。




料理も大変美味しゅうございました。
お店がお店なもんですから、どんちゃん騒ぎのような余興はございませんでしたが


お座敷遊びはございました。
昔繊維で栄えた頃は、そりゃもう絢爛豪華だったそうです。
新郎一族を代表して挨拶する原稿を実家に忘れる
というハプニングもございましたが、披露宴も無事終了。
幸せもいっぱい分けていただきました。おめでとうございます。
で、新婚旅行は喜界島ではなくイタリアだそうですが、
決して仲が悪いという訳ではありません。多分。
2014年11月06日
お家断絶の危機回避の旅 その2
帰省2日目は丸1日フリー。ということで

高校、大学の後輩が勤務する観光案内所でお話ししたり

カレーをご馳走になったりしておりました。
午後からは


地元の道の駅の店長をしている

先輩と色んなお話をしてきました。
来年以降も喜界島の特産品を取り扱っていただけるそうです。ありがとうございます。
で、夕方にはその先輩と

紅葉で色づき始めたダムの麓にある

温泉に入ってきました。
源泉かけ流しの温泉は効果てきめん。
慣れない寒さで冷え切った体もしっかり温まりました。ありがとうございます。

高校、大学の後輩が勤務する観光案内所でお話ししたり

カレーをご馳走になったりしておりました。
午後からは


地元の道の駅の店長をしている

先輩と色んなお話をしてきました。
来年以降も喜界島の特産品を取り扱っていただけるそうです。ありがとうございます。
で、夕方にはその先輩と

紅葉で色づき始めたダムの麓にある

温泉に入ってきました。
源泉かけ流しの温泉は効果てきめん。
慣れない寒さで冷え切った体もしっかり温まりました。ありがとうございます。
2014年11月05日
お家断絶の危機回避の旅 その1
唐突なお話ですが、実は私、長男なのです。
長男にも関わらず、家庭を持つ事無く、こう見えても一度家庭を持った時期もあるのですよう。。。
南の島でプラプラしておると、やはり言われるのは
跡継問題
長らく家族、親類ををヤキモキさせておったわけですが、この度弟が結婚するということで
お家断絶の危機、見事に回避(祝)
と相成りました。でもそこは我が家族。
「こんな時ぐらい、ちゃんと帰りなさい」
ということで、

飛行機→飛行機→バス→特急と乗り換え、帰ってきました。
高岡駅から先輩に拾っていただき、向かった先は


こちらの広場。
地元青年団が主催するイルミネーションの準備状況を見せていただきました。

限られた期間しか有効活用出来ない大きな施設と沢山の設備。
せっかくなので、冬にも楽しんでもらいましょうと、地元の青年たちが始めたこのイベント。
今では期間中7万人の来場者があるそうです。




青年団たちがやってるのだから自分たちも何かやらなくちゃと周囲の施設も色んな形で参加し始めているそうです。
で、そんなパワフルな先輩たちと


同級生が営むお店で

地元の方々とお酒を酌み交わしながら色んなお話をしました。
年齢も職業もバラバラだけど、ガラも悪く生まれ育った故郷で何か貢献したい。
そんな熱い想いをヒシヒシと感じ、良い刺激となった夜でした。ありがとうございます。
長男にも関わらず、家庭を持つ事無く、こう見えても一度家庭を持った時期もあるのですよう。。。
南の島でプラプラしておると、やはり言われるのは
跡継問題
長らく家族、親類ををヤキモキさせておったわけですが、この度弟が結婚するということで
お家断絶の危機、見事に回避(祝)
と相成りました。でもそこは我が家族。
「こんな時ぐらい、ちゃんと帰りなさい」
ということで、

飛行機→飛行機→バス→特急と乗り換え、帰ってきました。
高岡駅から先輩に拾っていただき、向かった先は


こちらの広場。
地元青年団が主催するイルミネーションの準備状況を見せていただきました。

限られた期間しか有効活用出来ない大きな施設と沢山の設備。
せっかくなので、冬にも楽しんでもらいましょうと、地元の青年たちが始めたこのイベント。
今では期間中7万人の来場者があるそうです。




青年団たちがやってるのだから自分たちも何かやらなくちゃと周囲の施設も色んな形で参加し始めているそうです。
で、そんなパワフルな先輩たちと


同級生が営むお店で

地元の方々とお酒を酌み交わしながら色んなお話をしました。
年齢も職業もバラバラだけど、
そんな熱い想いをヒシヒシと感じ、良い刺激となった夜でした。ありがとうございます。
2014年11月05日
ツアーダブルヘッダー
実は、10月26日(日)から飛行機のダイヤが変わっております。

で、これが10月29日(水)当日の予約状況。
奄美→喜界間の1便2便がほぼ満席となっておりました。
それもそのはず、
1便は

奄美大島名瀬港に寄港したクルーズ船「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーのお客様。
2便は、昨年から続いている阪急交通社さんのお客様です。
「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーは今年度初めから企画していました。
船自体がデカイもので、奄美群島では名瀬港しか寄港できない事情から、飛行機を使った他島へのオプションは
「飛鳥Ⅱ」さんも考えていたそうです。
このオプショナルツアー、喜界島での滞在時間は
約2.5時間(爆)※昼食含む
というタイトなスケジュールの為、無難に色んなところを周るより
とにかく一点集中
で行程を組んでみました。
で、その一点とは

美しい海もあれば、集落ガイドもおり、商店もある島の北端、小野津集落。
ホスピタリティ溢れる地域は実績も申し分なしなのです。
直前まで東京出張やらでバタバタしながらの段取りでしたが




事業所さんも頑張って商品を取りそろえてくれました。
で、当日。ツアーのガイドはバスガイドさんにお任せし、私はポイントを先回りして行きました。
海の見えるうどん屋さんでお食事を取るのを見届けた後は

小野津集落に行く途中で待ち伏せし、こちらにお客さんが来たのを見届けた後は

こちらの海岸で待ち伏せです。

小野津海岸に着いたら集落案内を開始。
通常1時間の案内を、ショートカットすることで15分に圧縮
という荒技で対応します。


海岸奥のあずま屋にお客さんが近づくと

傍に居たアンマーが唄いだし、ガイドさんが三味線を弾くというサプライズに皆さん大喜びでした。
2日前にリハーサルをしたのですが、その時の思いつきでここまで出来るのは流石です。


範囲が狭く、短い時間ながらもしっかり案内していただきました。
帰りの飛行機にも間に合い、「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーはなんとか終了。
で、夜には

喜界第一ホテルで阪急交通社さんのツアーの夕食時にお邪魔しました。

お食事が運ばれてくると、ホテルの従業員さんがお客様に料理を説明です。
大分慣れてきたようで頼もしいです。
この日は支配人がちょっと体調がすぐれないということで、私が代わりに


与論献奉ウエルカムドリンクを振舞ってきました。
一昨年喜界島に伝わったもてなしの儀式は現在4名の担い手がいるそうです。

夕食後は島唄タイム。
昨年のツアー開始当初はお母さんが横でサポートしてましたが、今じゃ慣れたもので、

1人でお客さんをリードできるようになりました。こういう成長を見るのも楽しいものです。
仕事柄色んな企画に参加するのですが、主役はあくまでお客さんと接する方々であり、
その方々が目の前のお客様と真剣に向き合うことで、お客様に喜んでいただき、サービスとして確立させていく。
前述した「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーも含め、そういう形で発展していく事が重要だと改めて勉強になった一日でした。
対応していただいた皆様、ありがとうございました。

で、これが10月29日(水)当日の予約状況。
奄美→喜界間の1便2便がほぼ満席となっておりました。
それもそのはず、
1便は

奄美大島名瀬港に寄港したクルーズ船「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーのお客様。
2便は、昨年から続いている阪急交通社さんのお客様です。
「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーは今年度初めから企画していました。
船自体がデカイもので、奄美群島では名瀬港しか寄港できない事情から、飛行機を使った他島へのオプションは
「飛鳥Ⅱ」さんも考えていたそうです。
このオプショナルツアー、喜界島での滞在時間は
約2.5時間(爆)※昼食含む
というタイトなスケジュールの為、無難に色んなところを周るより
とにかく一点集中
で行程を組んでみました。
で、その一点とは

美しい海もあれば、集落ガイドもおり、商店もある島の北端、小野津集落。
ホスピタリティ溢れる地域は実績も申し分なしなのです。
直前まで東京出張やらでバタバタしながらの段取りでしたが




事業所さんも頑張って商品を取りそろえてくれました。
で、当日。ツアーのガイドはバスガイドさんにお任せし、私はポイントを先回りして行きました。
海の見えるうどん屋さんでお食事を取るのを見届けた後は

小野津集落に行く途中で待ち伏せし、こちらにお客さんが来たのを見届けた後は

こちらの海岸で待ち伏せです。

小野津海岸に着いたら集落案内を開始。
通常1時間の案内を、ショートカットすることで15分に圧縮
という荒技で対応します。


海岸奥のあずま屋にお客さんが近づくと

傍に居たアンマーが唄いだし、ガイドさんが三味線を弾くというサプライズに皆さん大喜びでした。
2日前にリハーサルをしたのですが、その時の思いつきでここまで出来るのは流石です。


範囲が狭く、短い時間ながらもしっかり案内していただきました。
帰りの飛行機にも間に合い、「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーはなんとか終了。
で、夜には

喜界第一ホテルで阪急交通社さんのツアーの夕食時にお邪魔しました。

お食事が運ばれてくると、ホテルの従業員さんがお客様に料理を説明です。
大分慣れてきたようで頼もしいです。
この日は支配人がちょっと体調がすぐれないということで、私が代わりに


一昨年喜界島に伝わったもてなしの儀式は現在4名の担い手がいるそうです。

夕食後は島唄タイム。
昨年のツアー開始当初はお母さんが横でサポートしてましたが、今じゃ慣れたもので、

1人でお客さんをリードできるようになりました。こういう成長を見るのも楽しいものです。
仕事柄色んな企画に参加するのですが、主役はあくまでお客さんと接する方々であり、
その方々が目の前のお客様と真剣に向き合うことで、お客様に喜んでいただき、サービスとして確立させていく。
前述した「飛鳥Ⅱ」のオプショナルツアーも含め、そういう形で発展していく事が重要だと改めて勉強になった一日でした。
対応していただいた皆様、ありがとうございました。
2014年11月04日
ゲイ術の秋
朝大学の翌日は、東京都は小平市まで足をのばし
武蔵野美術大学の

ムサビ芸術祭に行ってきました。
国分寺駅から臨時バスが出るほど

昼前から沢山の来場者でした。
アーティストの卵が通う大学らしく

一見ギョッとさせるペイントアートや

様々な造形物がありました。

女子たちが担ぐお神輿もどことなくアーティスティックです。



美術大といっても様々なサークルがあるようで、
日頃の成果を発揮していました。
この芸術祭、昨年喜界島に来ていただいた画家の近藤さんのお誘いだったもので、
夕方からは近藤さんに色々案内していただきました。
中でもここの名物となってるのが


ラグビー部によるゲイバー

開店前には気合いを入れて円陣組みます。

で、このゲイバー、女性人気は絶大です。勉強になります。

店内は終日超満員。新宿2丁目に優ると劣らないクオリティーでした。

当日は天気にも恵まれ

地元の方の来場者も多かったようです。
前述のラグビー部のように、現役学生だけじゃなく、OBも参加してのお祭りは
大学に行ってはいたけれど学祭とは無縁だった私にとってとても新鮮で眩しく映ったのでした。
案内していただいた近藤さん。ありがとうございました。
武蔵野美術大学の

ムサビ芸術祭に行ってきました。
国分寺駅から臨時バスが出るほど

昼前から沢山の来場者でした。
アーティストの卵が通う大学らしく

一見ギョッとさせるペイントアートや

様々な造形物がありました。

女子たちが担ぐお神輿もどことなくアーティスティックです。



美術大といっても様々なサークルがあるようで、
日頃の成果を発揮していました。
この芸術祭、昨年喜界島に来ていただいた画家の近藤さんのお誘いだったもので、
夕方からは近藤さんに色々案内していただきました。
中でもここの名物となってるのが


ラグビー部によるゲイバー

開店前には気合いを入れて円陣組みます。

で、このゲイバー、女性人気は絶大です。勉強になります。

店内は終日超満員。新宿2丁目に優ると劣らないクオリティーでした。

当日は天気にも恵まれ

地元の方の来場者も多かったようです。
前述のラグビー部のように、現役学生だけじゃなく、OBも参加してのお祭りは
大学に行ってはいたけれど学祭とは無縁だった私にとってとても新鮮で眩しく映ったのでした。
案内していただいた近藤さん。ありがとうございました。
2014年11月04日
丸の内朝大学 奄美シマ唄クラス
女子旅ツアーの2日後は、東京に旅立ち

朝の丸の内に集う方々に講義をしてきました。
まあ、喜界島に住みはじめて7年目の私がしゃべっても胡散臭さ極まりないのと
講座のテーマが「奄美シマ唄クラス」なもんで
あくまで主役は

永遠の碧な方です。はい。
私は台風に伴うリスケやら女子旅やらで
永遠の碧な方は、ドイツに行ったり、両国での全国大会に出たりと
なかなか打合せをする時間もなく、ぶっつけ本番状態で挑みました。
で、講義は朝7:15から。

前日の夜にパワポのデータを整理して

島から持ってきた花良治ミカンを積み上げて講義開始です。
講義の持ち時間は約50分。最後には踊りの練習も入れるということで。。。

用意した原稿の半分も読んでまへん(爆)
で、あとは成敗される越後屋宜しく


永遠の碧な方にお願いです。

少ない時間でめいっぱい楽しんで頂こうと、色々趣向を凝らしてくれました。



一夜漬けで覚えた「喜界や よい島」もなんとか踊ることが出来ました。
ただ座ってお話を聞くだけではなく、
珊瑚を直接触ってみたり
花良治ミカンの香りを楽しんでもらったり
シマ唄に合わせて踊ってみたりと
5感で喜界島を知っていただけたのではないかと思います。

準備不足でどうなる事かと思いましたが、無事に講座は終了。
受講生の皆様、お疲れさまでした。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
丸の内朝大学 秋講座 奄美シマ唄クラスはまだまだ続くようです。
詳しくは下記リンクをご覧ください。
「丸の内朝大学 奄美シマ唄クラス」
喜界島編の模様は下記リンクからもご覧いただけます。
「☆丸の内朝大学『奄美シマ唄クラス』講座☆ ☆さおりんと喜界島、今☆」
「第3回)唄で喜界島を知る クラス委員ブログ」

朝の丸の内に集う方々に講義をしてきました。
まあ、喜界島に住みはじめて7年目の私がしゃべっても胡散臭さ極まりないのと
講座のテーマが「奄美シマ唄クラス」なもんで
あくまで主役は

永遠の碧な方です。はい。
私は台風に伴うリスケやら女子旅やらで
永遠の碧な方は、ドイツに行ったり、両国での全国大会に出たりと
なかなか打合せをする時間もなく、ぶっつけ本番状態で挑みました。
で、講義は朝7:15から。

前日の夜にパワポのデータを整理して

島から持ってきた花良治ミカンを積み上げて講義開始です。
講義の持ち時間は約50分。最後には踊りの練習も入れるということで。。。

用意した原稿の半分も読んでまへん(爆)
で、あとは成敗される越後屋宜しく


永遠の碧な方にお願いです。

少ない時間でめいっぱい楽しんで頂こうと、色々趣向を凝らしてくれました。



一夜漬けで覚えた「喜界や よい島」もなんとか踊ることが出来ました。
ただ座ってお話を聞くだけではなく、
珊瑚を直接触ってみたり
花良治ミカンの香りを楽しんでもらったり
シマ唄に合わせて踊ってみたりと
5感で喜界島を知っていただけたのではないかと思います。

準備不足でどうなる事かと思いましたが、無事に講座は終了。
受講生の皆様、お疲れさまでした。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
丸の内朝大学 秋講座 奄美シマ唄クラスはまだまだ続くようです。
詳しくは下記リンクをご覧ください。
「丸の内朝大学 奄美シマ唄クラス」
喜界島編の模様は下記リンクからもご覧いただけます。
「☆丸の内朝大学『奄美シマ唄クラス』講座☆ ☆さおりんと喜界島、今☆」
「第3回)唄で喜界島を知る クラス委員ブログ」
2014年11月03日
喜界&瀬戸内女子旅ツアー その6
奄美大島南部の瀬戸内町と喜界島を巡る4日間のよくばり女子旅
「喜界&瀬戸内女子旅ツアー」最終日は、
ちょっと早起きして朝日を見に行きました。。。
が、雲が厚いせいか、朝日は見えず、

代わりに珊瑚の石垣が多く残るところに立ち寄ってきました。


出発前には荒木集落で野草教室。
台風の被害が心配されましたが、喜界島の薬草は逞しかったのでした。

野草教室には飛び入り参加もありました。ありがとうございます。

女子旅の最後は、瀬戸内町の方も集合して

空港でお見送り。お客様からは
「延泊プランがあるなら、早めに教えてくれても良いのに~」
と、ありがたいお言葉も頂きました。
そんな中でも3名の方が喜界島にもう1泊。ということで


ツアー中に周れなかったところも見ていただきました。
と、そんなこんなで女子旅は無事に終了。
40前のオッサンが考えたプランでどうなる事かと不安だらけでしたが、
お客様のご協力もあり、楽しんでいただけたようです。
未熟な部分にもしっかりご意見をいただけたおかげで
次回以降も胸を張って開催できそうです。
また、今回のツアーで何かときめ細やかなサポートをしていただいた
ねりやかなやの山腰さん
奄美テレビの山元さん
りえらぼの佐藤さん
瀬戸内町の皆さん
中里集落は「まりろう会」の皆さん、ありがとうございました。
「喜界&瀬戸内女子旅ツアー」最終日は、
ちょっと早起きして朝日を見に行きました。。。
が、雲が厚いせいか、朝日は見えず、

代わりに珊瑚の石垣が多く残るところに立ち寄ってきました。


出発前には荒木集落で野草教室。
台風の被害が心配されましたが、喜界島の薬草は逞しかったのでした。

野草教室には飛び入り参加もありました。ありがとうございます。

女子旅の最後は、瀬戸内町の方も集合して

空港でお見送り。お客様からは
「延泊プランがあるなら、早めに教えてくれても良いのに~」
と、ありがたいお言葉も頂きました。
そんな中でも3名の方が喜界島にもう1泊。ということで


ツアー中に周れなかったところも見ていただきました。
と、そんなこんなで女子旅は無事に終了。
40前のオッサンが考えたプランでどうなる事かと不安だらけでしたが、
お客様のご協力もあり、楽しんでいただけたようです。
未熟な部分にもしっかりご意見をいただけたおかげで
次回以降も胸を張って開催できそうです。
また、今回のツアーで何かときめ細やかなサポートをしていただいた
ねりやかなやの山腰さん
奄美テレビの山元さん
りえらぼの佐藤さん
瀬戸内町の皆さん
中里集落は「まりろう会」の皆さん、ありがとうございました。
タグ :喜界島喜界&瀬戸内女子旅ツアー