2017年02月25日
自称大物FA選手の帰郷 その4
喜界島と私の故郷は

地図で見るとこんなに離れておるわけで
いきなり寒い所となるとなーんかおかしな感じになるものですから
ベホマの効果がある




ダムの麓の温泉で身体を温め
前日の新年会でご一緒した


米粉なカフェのイチゴでビタミンを補給すると大分楽になったので
これまた前日の新年会でご一緒した、火サスな旅館の社長さんから

「この奥の風景が綺麗ながいぜ」と教えていただいたので

火サスな遊覧船で終点まで行ってきました。

確かに、建設中の赤い橋を過ぎたあたりから

峡谷はどんどん深くなっていき、

迫力も増してくるわけです。

で、終点には

船でしか行けない火サスなお宿がどどーんと。
最近、ジブリアニメの舞台になったお宿が話題になってますが、火サスなお宿もかなりの存在感です。
このままお宿にチエックインして湯上り美人なんかとお友達になりたいところですが
数時間後には新宿行きの夜行バスに乗らなきゃいけないので泣きながら撤退となりました。ちゃんちゃん。

地図で見るとこんなに離れておるわけで
いきなり寒い所となるとなーんかおかしな感じになるものですから
ベホマの効果がある




ダムの麓の温泉で身体を温め
前日の新年会でご一緒した


米粉なカフェのイチゴでビタミンを補給すると大分楽になったので
これまた前日の新年会でご一緒した、火サスな旅館の社長さんから

「この奥の風景が綺麗ながいぜ」と教えていただいたので

火サスな遊覧船で終点まで行ってきました。

確かに、建設中の赤い橋を過ぎたあたりから

峡谷はどんどん深くなっていき、

迫力も増してくるわけです。

で、終点には

船でしか行けない火サスなお宿がどどーんと。
最近、ジブリアニメの舞台になったお宿が話題になってますが、火サスなお宿もかなりの存在感です。
このままお宿にチエックインして湯上り美人なんかとお友達になりたいところですが
数時間後には新宿行きの夜行バスに乗らなきゃいけないので泣きながら撤退となりました。ちゃんちゃん。
2017年02月24日
自称大物FA選手の帰郷 その3
島一番な島めぐりの翌々日は故郷に向かって出発です。
前回は関西ルートで帰ったので、今回は関東ルートで帰ってみることにしました。

バスタなターミナルからバスで揺られること約7時間。からの

ローカルなディーゼルに30分乗って実家に到着。
この日の午後は



人肌の宿で移籍先の全体会にお邪魔して



その後の新年会で市長さんや議長さんなど居る中、皆さんにご挨拶してきました。

※画像はイメージです
次年度からは私の他にも数名入るようで、庄川として、組合として、次年度は
勝負の年だということを改めて実感するのでした。
前回は関西ルートで帰ったので、今回は関東ルートで帰ってみることにしました。

バスタなターミナルからバスで揺られること約7時間。からの

ローカルなディーゼルに30分乗って実家に到着。
この日の午後は



人肌の宿で移籍先の全体会にお邪魔して



その後の新年会で市長さんや議長さんなど居る中、皆さんにご挨拶してきました。

※画像はイメージです
次年度からは私の他にも数名入るようで、庄川として、組合として、次年度は
勝負の年だということを改めて実感するのでした。
2017年02月01日
自称大物FA選手の帰郷 その2

帰省したらしたで、なんだかんだと時間はあるもので
前日のまちづくり協議会でお会いした船舶会社さんが運営する

火サスな遊覧船に乗ってきました。
この遊覧船では

船でしか行けない、これまた火サスな温泉にもアクセスできるのですが
今回はショートコースでの遊覧でした。

丁度、インバウンドなお客様と乗船です。
前日が旧正月にもかかわらずお越しいただき、遠路はるばる感謝感激カムサハムニダなのです。
なんだかんだとインバウンドなお客さんは多いようで

色々インバウンドな表示がありました。



船から見る景色はこれまた雄大で
インバウンドなお客さんたちもスマホやらビデオやらで撮影に大忙しで

約20分の遊覧をじっくり楽しむことが出来ました。
また、移籍先となる

残雪たっぷりな仕事場には



色んな施設が色んな取り組みをしており

人がわんさかいた小矢部のアウトレットでは

喜界島の白ゴマを使ったしゃぶだれを取り扱ってもらってました。
エリアの大小にかかわらず、それぞれの魅力を生かしつつ
合わせて知って・楽しんでいただくことが出来ればと決意するのでした。
ご対応いただいた皆様、ありがとうございました。
2017年01月31日
自称大物FA選手の帰郷 その1
年末年始はなにかと慌ただしかったので

桜の花が増えてきた頃に帰省してきました。
過日こちらの記事でも書いた通り、数か月後には

自称大物FA選手になるので、各方面の見学も兼ねてきました。

奄美大島から伊丹に飛び

梅田で飲んだくれた後は高速バスで実家に到着。
つい先日まで大雪だったらしく、かなりの残雪でしたが
翌日は青空が広がり




絶好のドライブ日和でした。
この日の晩は地元の方々によるまちづくりな協議会にも混ぜていただき
故郷がこれからどう向かっていこうとしてるのか?なお話を聞くことが出来ました。
アポなしながらご対応いただいた皆様、ありがとうございます。

桜の花が増えてきた頃に帰省してきました。
過日こちらの記事でも書いた通り、数か月後には

自称大物FA選手になるので、各方面の見学も兼ねてきました。

奄美大島から伊丹に飛び

梅田で飲んだくれた後は高速バスで実家に到着。
つい先日まで大雪だったらしく、かなりの残雪でしたが
翌日は青空が広がり




絶好のドライブ日和でした。
この日の晩は地元の方々によるまちづくりな協議会にも混ぜていただき
故郷がこれからどう向かっていこうとしてるのか?なお話を聞くことが出来ました。
アポなしながらご対応いただいた皆様、ありがとうございます。
2016年08月15日
キングオブアスリートin志戸桶
娑婆がお盆に入る頃には、志戸桶集落で運動会が行われました。
昨年同様、島キャン生も出場するので、私も様子を見に行ってきました。
開始時刻が8:30だそうで、時間に合わせて会場に向かうと

なんとも緩い雰囲気の中、30分押しで


入場行進からの


開会式と準備運動で競技スタート

島キャン生も一生懸命走ります。
私はというと、来賓席でのんびりしておりましたが
そんなことは許されるはずもなく


トラック競技に次々駆り出され

午後からもありとあらゆる競技に出場することになりました。
むろん、準備などしているわけもなく

出場した分の景品を頂いた頃には
日焼けと筋肉痛で苦しむことになりました(爆)
ただ、志戸桶集落も少子高齢化は例外ではないわけで
島キャン生も含め、参加させていただくことで、集落の方が少しでも元気になればと、
45年間開催してきた育成会の方々に頭が下がる思いなのでした。
ご参加された方、お疲れ様でした。。。
昨年同様、島キャン生も出場するので、私も様子を見に行ってきました。
開始時刻が8:30だそうで、時間に合わせて会場に向かうと

なんとも緩い雰囲気の中、30分押しで


入場行進からの


開会式と準備運動で競技スタート

島キャン生も一生懸命走ります。
私はというと、来賓席でのんびりしておりましたが
そんなことは許されるはずもなく


トラック競技に次々駆り出され

午後からもありとあらゆる競技に出場することになりました。
むろん、準備などしているわけもなく

出場した分の景品を頂いた頃には
日焼けと筋肉痛で苦しむことになりました(爆)
ただ、志戸桶集落も少子高齢化は例外ではないわけで
島キャン生も含め、参加させていただくことで、集落の方が少しでも元気になればと、
45年間開催してきた育成会の方々に頭が下がる思いなのでした。
ご参加された方、お疲れ様でした。。。
2016年06月03日
エクストリーム 大阪東京営業出張
東京でのお仕事が終わると、夕方には

回遊魚のようなルックスのはくたかに乗って富山に向かい



実家に帰った翌々日の午前中には大阪に向かい

大阪が誇るキングオブ屋台に行ってきました。
夕方なんぞに行こうものなら長時間待つ羽目になるので、午後2時過ぎから飲んでおりました。

相変わらずのパフォーマンスと



相変わらずのクオリティでした。

この日は小雨がぱらつく中でもどんどん列は膨らんでいき
ちょうど、夕方早々には人じゃなくなってきたので伊丹に向かい、日曜日の飛行機で喜界島に戻り
1週間にわたり、大阪→東京→富山→大阪とグルングルン周ってきた出張は無事終了。
道中、色々お世話になった恩返しも含め、これからもお仕事頑張りましゅ

回遊魚のようなルックスのはくたかに乗って富山に向かい



実家に帰った翌々日の午前中には大阪に向かい

大阪が誇るキングオブ屋台に行ってきました。
夕方なんぞに行こうものなら長時間待つ羽目になるので、午後2時過ぎから飲んでおりました。

相変わらずのパフォーマンスと



相変わらずのクオリティでした。

この日は小雨がぱらつく中でもどんどん列は膨らんでいき
ちょうど、夕方早々には人じゃなくなってきたので伊丹に向かい、日曜日の飛行機で喜界島に戻り
1週間にわたり、大阪→東京→富山→大阪とグルングルン周ってきた出張は無事終了。
道中、色々お世話になった恩返しも含め、これからもお仕事頑張りましゅ
2016年02月18日
朝大学な写真展
先週、朝大学な写真展があるということで、東京に行ってきました。
奄美経由の飛行機で向かおうと試みましたが、ソフトボール大会や阪急ツアーと見事重なり
36人乗りの飛行機2便は見事に満席(爆)
朝もはよからフェリーに揺られて

帆船ランチをいただいて、名瀬→空港→羽田と乗り継ぎ、エクスアートな現場に顔を出したのは閉店前でした。
日曜日は写真展の最終日。会場の営業時間はお昼から。なのでその前に


喜界島の食材をたくさん取り扱っていただいてる

江戸川橋のシャレオツなシースー屋さんで

喜界島のゴマしゃぶダレなランチをいただき


喜界島の食べ物を使ったアーティスティックなギャラリーを覗かせていただいて、現場に向かいました。
エクスアートなビルの、そんなに広いとは言えないスペースですが


スペースを目いっぱい使って、先月のツアーの感動や驚き、笑顔がそこかしこにちりばめられていました。
撮影機材のほとんどがスマホ。決してプロとは言えない方々の作品ですがその時、その場所でしか味わえない瞬間ばかりでした。

来島者の皆さんが自ら立案した企画から準備、開催まで約1ヵ月足らずだそうで、
短い時間ながらも中身の濃い想いがギッシリ詰まった写真展でした。
奄美や喜界を知ってる人・知らない人や
ツアーに参加した人・しなかった人などなど。。。
閉店間際まで来客は途切れることなく

みんなで撤収したら

ツアー中は素面だったので、打ち上げではウェルカムドリンクを回すことができました。
写真展っていうと、どうしてもハードルが高くなりがちなのですが、こういう機会を作っていくことでもっと気軽に想いをシェア出来る。
そんな素敵なイベントだったと感じました。
ご来場いただいた皆様、企画・準備・運営に関わっていただいた皆様、ありがとうございました。
奄美経由の飛行機で向かおうと試みましたが、ソフトボール大会や阪急ツアーと見事重なり
36人乗りの飛行機2便は見事に満席(爆)
朝もはよからフェリーに揺られて

帆船ランチをいただいて、名瀬→空港→羽田と乗り継ぎ、エクスアートな現場に顔を出したのは閉店前でした。
日曜日は写真展の最終日。会場の営業時間はお昼から。なのでその前に


喜界島の食材をたくさん取り扱っていただいてる

江戸川橋のシャレオツなシースー屋さんで

喜界島のゴマしゃぶダレなランチをいただき


喜界島の食べ物を使ったアーティスティックなギャラリーを覗かせていただいて、現場に向かいました。
エクスアートなビルの、そんなに広いとは言えないスペースですが


スペースを目いっぱい使って、先月のツアーの感動や驚き、笑顔がそこかしこにちりばめられていました。
撮影機材のほとんどがスマホ。決してプロとは言えない方々の作品ですがその時、その場所でしか味わえない瞬間ばかりでした。

来島者の皆さんが自ら立案した企画から準備、開催まで約1ヵ月足らずだそうで、
短い時間ながらも中身の濃い想いがギッシリ詰まった写真展でした。
奄美や喜界を知ってる人・知らない人や
ツアーに参加した人・しなかった人などなど。。。
閉店間際まで来客は途切れることなく

みんなで撤収したら

ツアー中は素面だったので、打ち上げではウェルカムドリンクを回すことができました。
写真展っていうと、どうしてもハードルが高くなりがちなのですが、こういう機会を作っていくことでもっと気軽に想いをシェア出来る。
そんな素敵なイベントだったと感じました。
ご来場いただいた皆様、企画・準備・運営に関わっていただいた皆様、ありがとうございました。
2016年02月17日
春間近

メンハナ公園の桜が満開になる頃には、私の手元に

グローバルなカードが届きました。
この仕事に就いて早4年目。数々の電波少年的な出張の賜です。せっかくなので有り難く使わせていただきます。
時折寒さも感じる季節ですが、そんな中でも

人間国宝な方々が、昨年の倍以上の人を連れてきてくれ


島の料理と芸能を楽しんでいただいたようです。
準備に大忙しだった喜界島酒造さん、お疲れ様でした。

伐採パンの製造が最盛期を迎え

与論からの刺客もお見えになり、同席した方々にも与論献奉を体験していただいた翌日は

東京への弾丸出張でした。
2016年01月14日
新春厄払いの旅 その4
不惑を迎えたオッサン達が厄払いを済ませ

会場近くで振る舞われた鍋に舌鼓を打ち

平日の昼間からお酒をかっくらい出す頃には

厄払い対象者以外でも体験できる第2部が開始です。
第2部の参加者はそれこそ様々で、

可愛いミスのおねーちゃんや、カープファンな方

小さなお子様たちも居ました。

体験メニューの中身は、厄払いのよりは簡素でマイルドになっておりました。
地域の行事に外から関心が集まるのは良いことですが、それによって地域が疲弊してしまうと元も子もないわけで
外からの需要とどう折り合いをつけていくか。
喜界島でも

ソーメンガブーな行事なんかで、今後は考えていかなきゃなー。と思うのでした。
で、第2部までしっかり堪能し、打ち上げの会場となっている同級生のお店に着くころには

不惑を迎えたオッサン達は人じゃなくなっておるわけで

昔のようにおバカなまんまで宴は続くのでした。。。
続きを読む

会場近くで振る舞われた鍋に舌鼓を打ち

平日の昼間からお酒をかっくらい出す頃には

厄払い対象者以外でも体験できる第2部が開始です。
第2部の参加者はそれこそ様々で、

可愛いミスのおねーちゃんや、カープファンな方

小さなお子様たちも居ました。

体験メニューの中身は、厄払いのよりは簡素でマイルドになっておりました。
地域の行事に外から関心が集まるのは良いことですが、それによって地域が疲弊してしまうと元も子もないわけで
外からの需要とどう折り合いをつけていくか。
喜界島でも

ソーメンガブーな行事なんかで、今後は考えていかなきゃなー。と思うのでした。
で、第2部までしっかり堪能し、打ち上げの会場となっている同級生のお店に着くころには

不惑を迎えたオッサン達は人じゃなくなっておるわけで

昔のようにおバカなまんまで宴は続くのでした。。。
続きを読む
2016年01月14日
新春厄払いの旅 その3
数えで前厄となるため、4日間かけて参加した故郷の厄払いの儀式その2は

豊かな水量が流れる庄川ほとりで行います。



厄払い対象者がずらずら連なって川のほとりに移動して、いよいよ

神様とご対面。
はい。この儀式での神様はお魚の鯉。

私の故郷では鯉にお酒を呑ませて厄払いとなるわけです。
※詳しくは下記リンクをご覧ください。
恋プロ:厄払い鯉の放流
全国でも非常に珍しい行事なので、取材に訪れたマスコミは約20社
同級生の計らいで、最前列にしていただいたおかげで

翌日の朝刊の紙面を頂きました。ありがとうございます。
まあ、鯉は生きものでして、掴めば滑って暴れるわけで
朝日新聞web版の動画枠を2秒ゲットしましたが

テレビなんかは振袖女子がお好みのようです。

豊かな水量が流れる庄川ほとりで行います。



厄払い対象者がずらずら連なって川のほとりに移動して、いよいよ

神様とご対面。
はい。この儀式での神様はお魚の鯉。

私の故郷では鯉にお酒を呑ませて厄払いとなるわけです。
※詳しくは下記リンクをご覧ください。
恋プロ:厄払い鯉の放流
全国でも非常に珍しい行事なので、取材に訪れたマスコミは約20社
同級生の計らいで、最前列にしていただいたおかげで

翌日の朝刊の紙面を頂きました。ありがとうございます。
まあ、鯉は生きものでして、掴めば滑って暴れるわけで
朝日新聞web版の動画枠を2秒ゲットしましたが

テレビなんかは振袖女子がお好みのようです。
2016年01月13日
新春厄払いの旅 その2
鹿児島への移動日を含めると4日間かけてたどり着いた故郷の富山県は砺波市庄川町
厄払いの現場その1となる、金屋神明宮に集まり、受付&打ち合わせです。
思えば故郷の同級生と会うのは約20年振りなわけで

痩身のボディは肥大化し、キューティクルな髪はチリチリとなった
今の私の姿とのギャップで場内騒然です。
とかいってもみんな年を重ねるとそれなりにオッサンになってるわけです。20年の月日は時には残酷なのです。
厄払い出席対象者となる25歳男性、33歳女性、42歳男性、還暦組が揃うと神事開始

神様が入った桶を持ち、


鳥居をくぐって本殿に入る頃には、晴れ間が見えてきました。神様って本当にいるのかもしれません。
でも

本殿でお祓いした後は、元の雨天に戻っておりました。世の中そんなに甘くないのかもしれません。
厄払いの現場その1となる、金屋神明宮に集まり、受付&打ち合わせです。
思えば故郷の同級生と会うのは約20年振りなわけで

痩身のボディは肥大化し、キューティクルな髪はチリチリとなった
今の私の姿とのギャップで場内騒然です。
とかいってもみんな年を重ねるとそれなりにオッサンになってるわけです。20年の月日は時には残酷なのです。
厄払い出席対象者となる25歳男性、33歳女性、42歳男性、還暦組が揃うと神事開始

神様が入った桶を持ち、


鳥居をくぐって本殿に入る頃には、晴れ間が見えてきました。神様って本当にいるのかもしれません。
でも

本殿でお祓いした後は、元の雨天に戻っておりました。世の中そんなに甘くないのかもしれません。
2016年01月13日
新春厄払いの旅 その1

昨年で8回目となる大晦日も島で年を越し、娑婆が御用はじめとなる日には鹿児島に渡りました。
実は今年で数えで前厄となるわけで、故郷で行われる厄払いの儀式に出席すべく陸路で富山に向かいます。
富山に向かう前に、まずは熊本に立ち寄り




知恵の輪くぐっておみくじ引いて熊本城を見学したら

昨年から何度も島に来ていただいてる、尺八奏者な方々とそのご家族におもてなししていただきました。ありがとうございます。
熊本で楽しい夜を過ごした後は、新幹線→特急→新幹線と6時間半移動して夜には富山市へ

懐かしくも美味しい日本海の海の幸を堪能し

ロシアとパキスタンの言葉が並ぶお役所で用事を済ませたら

故郷となる砺波市庄川町へ。普通この季節は山は雪で覆われておるわけですが、今年は記録的な暖冬でご覧の景色
でも北国はやっぱり寒いわけで

かつて東洋一のダムと呼ばれた場所の真下に湧く温泉で

冷えた身体を温めて、翌日の厄払いに臨みます。
2015年03月18日
網野子トンネルウオーキング 後編

網野子トンネルウオーキングに合わせて開催された
瀬戸内にぎわい祭りは


あいにくのお天気なので、ステージイベントは海の駅内に変更です。
イベントのメインは和太鼓の世界チャンピオン

加藤拓三さん
年に1,000回もの公演を行うパワフルな奏者です。
回数もさることながら

バチさばきも力強く
激しいものから、心にズシンと響くようなものまで、多彩なレパートリーでした。

若手奏者も途中に登場し


クライマックスは周りの空気まで震えるほどの超ド迫力でした。
メインが終わる頃には雨も小降りになり、予定通り

フラダンスや

地元の和太鼓の共演も行われました。
あいにくのお天気でしたが事故も無く無事にイベントは終了。
ウォーキングに参加することはできませんでしたが、楽しい催し物が盛りだくさんなイベントになりました。
対応していただいた皆さん、ありがとうございました。
2015年03月18日
網野子トンネルウオーキング 前篇
赤木名ツアーの翌日は、朝もはよからバスに乗って

瀬戸内町は古仁屋に行きました。
この日は奄美大島南部の
網野子トンネル開通前のウォーキングイベントが行われるのです。
イベントに合わせて海の駅周辺でも様々な催し物が開催されるということで、
お手伝いも兼ねての参加でした。
ウォーキングイベントの参加者はなんと1,000人!
大型バス10台でピストン輸送する大がかりなものでした。

で、この日の天気はあいにくの雨。


会場内の配置も若干変更となりました。

11:00頃にはウォーキングを済ませた方々が海の駅に集合しだすと


漁協によるマグロの解体ショーが行われ


出店も並びました。

一昨年、ウミガメでお越しいただいた方は

タコライスを出してました。
トンネルの開通を記念して造られた

モニュメントの除幕式も行われていたようです。

瀬戸内町は古仁屋に行きました。
この日は奄美大島南部の
網野子トンネル開通前のウォーキングイベントが行われるのです。
イベントに合わせて海の駅周辺でも様々な催し物が開催されるということで、
お手伝いも兼ねての参加でした。
ウォーキングイベントの参加者はなんと1,000人!
大型バス10台でピストン輸送する大がかりなものでした。

で、この日の天気はあいにくの雨。


会場内の配置も若干変更となりました。

11:00頃にはウォーキングを済ませた方々が海の駅に集合しだすと


漁協によるマグロの解体ショーが行われ


出店も並びました。

一昨年、ウミガメでお越しいただいた方は

タコライスを出してました。
トンネルの開通を記念して造られた

モニュメントの除幕式も行われていたようです。
2015年03月17日
赤木名ツアー 後編
奄美大島は笠利町の赤木名地区を
のんびり見る・知る・味わう小さな旅の後半は

赤木名地区を歩いて巡ります。

中学校の裏山には

お城の跡が。
薩摩のお役人が務めるこのお城のそばには、ホームシック対策としてお寺もあったそうです。

傍らには初夏を感じさせるものもありました。

中学校の裏にはかつて水がわいていたそうで、水道のない時代には貴重な水源だったそうです。


飲食店が並ぶメインストリートを抜けると住宅街へ

サンゴの石垣や

立派なお屋敷が並んでいました。


近所のお家の倉庫に収納されている看板や

ガスボンベを使った表示もポイント高いです。

小学校の奥にある

二宮金次郎にもビックリです。

とあるお宅にあったこちらの船

書いてある名前から察するに

三井商船のクルーズ船と何か関係があるのかもしれません

川に面したお宅には

排水機能を備えた門柱があり

「みき」をいただいた先には

イカス髪型のヤギがいました。
あんまり髪型にツッコミすぎると

こうなりそうなので、軽くスルーすると

古民家が

中には宴席が設けられ



先ほど捌いたお魚も美味しく料理されておりました。
夜がとっぷり更けた頃には

庭で八月踊りが

皆さん一緒に輪になって踊ります。
奄美の八月踊りは踊るに従ってテンポが速くなるのが特徴で
踊り終わる頃には汗びっしょりでした。
と、夜もとっぷり更けた頃にツアーは終了。
約8時間と長丁場のツアーでしたが、しっかりとしたストーリーに基づいて組み上げられたプログラムはとても満足のいくものでした。
対応していただいた皆さん、ありがとうございました。
のんびり見る・知る・味わう小さな旅の後半は

赤木名地区を歩いて巡ります。

中学校の裏山には

お城の跡が。
薩摩のお役人が務めるこのお城のそばには、ホームシック対策としてお寺もあったそうです。

傍らには初夏を感じさせるものもありました。

中学校の裏にはかつて水がわいていたそうで、水道のない時代には貴重な水源だったそうです。


飲食店が並ぶメインストリートを抜けると住宅街へ

サンゴの石垣や

立派なお屋敷が並んでいました。


近所のお家の倉庫に収納されている看板や

ガスボンベを使った表示もポイント高いです。

小学校の奥にある

二宮金次郎にもビックリです。

とあるお宅にあったこちらの船

書いてある名前から察するに

三井商船のクルーズ船と何か関係があるのかもしれません

川に面したお宅には

排水機能を備えた門柱があり

「みき」をいただいた先には

イカス髪型のヤギがいました。
あんまり髪型にツッコミすぎると

こうなりそうなので、軽くスルーすると

古民家が

中には宴席が設けられ



先ほど捌いたお魚も美味しく料理されておりました。
夜がとっぷり更けた頃には

庭で八月踊りが

皆さん一緒に輪になって踊ります。
奄美の八月踊りは踊るに従ってテンポが速くなるのが特徴で
踊り終わる頃には汗びっしょりでした。
と、夜もとっぷり更けた頃にツアーは終了。
約8時間と長丁場のツアーでしたが、しっかりとしたストーリーに基づいて組み上げられたプログラムはとても満足のいくものでした。
対応していただいた皆さん、ありがとうございました。
2015年03月17日
赤木名ツアー 前篇
先週、ひとつ年を重ねました。数えで前厄です。

足の綺麗なお姉さんたちがお祝をしてくれるということはありませんでしたが、暖かいメッセージを沢山いただきました。ありがとうございます。
39歳最初の夜はサッサと寝て


夜明け前のフェリーで奄美大島へ。
奄美大島は笠利町で開催される

こちらのツアーに参加してきました。
奄美市役所からバスに揺られること40分
奄美大島の先っぽに近い、

総合支所からツアーはスタート。
諸々の説明を受けてから


漁協に向かいます。

地魚や


地元でとれる海産物による加工品を見学したあとは
地元のお姉さま方のご指導を受けながら


お魚をさばきます。

ちょっと身が残ってしまいました。。。反省です。
お次は赤木名のメインストリート沿いにある

富国製糖さんへ

サトウキビからザラメが出来るまでの仕組みを教えていただきました。
この工場ではサトウキビを絞ったりして出来る熱エネルギーを他の行程の動力に使っているんだそうです。
しかも、余ったエネルギーで

お風呂も沸かせるんだとか
工場が出来た約50年前にこの仕組みが確立されてたことに2度ビックリです。
この日は工場の稼働はお休みだったので作業行程はビデオで見学。
勿論、BGMは
こうなるわけです。
停止はしてましたが、工場の内部も見れました。



工場の奥には

精製されたザラメがどどーんと。

ヘンゼルとグレーテルの世界って、本当にあるのかもしれません。
と、そんなこんなで工場見学は終了。
お次は赤木名のまちあるきです。

足の綺麗なお姉さんたちがお祝をしてくれるということはありませんでしたが、暖かいメッセージを沢山いただきました。ありがとうございます。
39歳最初の夜はサッサと寝て


夜明け前のフェリーで奄美大島へ。
奄美大島は笠利町で開催される

こちらのツアーに参加してきました。
奄美市役所からバスに揺られること40分
奄美大島の先っぽに近い、

総合支所からツアーはスタート。
諸々の説明を受けてから


漁協に向かいます。

地魚や


地元でとれる海産物による加工品を見学したあとは
地元のお姉さま方のご指導を受けながら


お魚をさばきます。

ちょっと身が残ってしまいました。。。反省です。
お次は赤木名のメインストリート沿いにある

富国製糖さんへ

サトウキビからザラメが出来るまでの仕組みを教えていただきました。
この工場ではサトウキビを絞ったりして出来る熱エネルギーを他の行程の動力に使っているんだそうです。
しかも、余ったエネルギーで

お風呂も沸かせるんだとか
工場が出来た約50年前にこの仕組みが確立されてたことに2度ビックリです。
この日は工場の稼働はお休みだったので作業行程はビデオで見学。
勿論、BGMは
こうなるわけです。
停止はしてましたが、工場の内部も見れました。



工場の奥には

精製されたザラメがどどーんと。

ヘンゼルとグレーテルの世界って、本当にあるのかもしれません。
と、そんなこんなで工場見学は終了。
お次は赤木名のまちあるきです。
2015年03月08日
激闘!ヤギカレー!
先月末ごろから、都市部の大学生が



喜界島の事業所様でインターンとしてお世話になっております。
詳しくは下記リンクをご覧ください。
島おこしインターンシップ「島キャン」
お仕事がお休みの時には島をよりよく知っていただこうと観光案内をすることになっています。
丁度その頃、商工会の相談員の方が

喜界島出身のフレンチなレシピを発見しまして、それを作ってみようということになりました。
丁度この日の天気はあいにくの雨。


埋蔵文化センターで説明を受け

オサレなカフェでお食事を済ませた後に行ってきました。

会場となるのは中央公民館。
お題となるレシピは

喜界島の食べれるアイドルヤギを使ったカレーです。

野菜の切り出しからスタート。

お次はヤギ肉をニンニク、生姜と塩ゆでします。
この時点で香りと味が

ヤギ汁になっておりまして、危うく
これにて終了!いただきます!
となるところでしたwww



ちょっと抜け出して荒木で紙すきをしている間に


イイ感じに仕上がっておりました。

この日は2月の1ヶ月間、おもてなしハウスに滞在していた方も参加。
島キャン生とは実家が近いそうです。世間ってせまいものですwww


何度も何度も煮込むこと6時間。とっぷり日が暮れる頃に


ヤギカレー、めでたく完成(祝)
で、気になるお味は。。。
スパイシーながらもガツンとヤギの味がする、食べれるアイドルの名にふさわしいものでした。
諸々改良の余地はありますが、磨きあげを進めていけば新たな喜界島の特産品となる可能性も秘めておるわけです。
事業者のみなさん、ビッグビジネスの予感がしますよ!
ということで、参加していただいた皆様、ありがとうございました。



喜界島の事業所様でインターンとしてお世話になっております。
詳しくは下記リンクをご覧ください。
島おこしインターンシップ「島キャン」
お仕事がお休みの時には島をよりよく知っていただこうと観光案内をすることになっています。
丁度その頃、商工会の相談員の方が

喜界島出身のフレンチなレシピを発見しまして、それを作ってみようということになりました。
丁度この日の天気はあいにくの雨。


埋蔵文化センターで説明を受け

オサレなカフェでお食事を済ませた後に行ってきました。

会場となるのは中央公民館。
お題となるレシピは

喜界島の食べれるアイドルヤギを使ったカレーです。

野菜の切り出しからスタート。

お次はヤギ肉をニンニク、生姜と塩ゆでします。
この時点で香りと味が

ヤギ汁になっておりまして、危うく
これにて終了!いただきます!
となるところでしたwww



ちょっと抜け出して荒木で紙すきをしている間に


イイ感じに仕上がっておりました。

この日は2月の1ヶ月間、おもてなしハウスに滞在していた方も参加。
島キャン生とは実家が近いそうです。世間ってせまいものですwww


何度も何度も煮込むこと6時間。とっぷり日が暮れる頃に


ヤギカレー、めでたく完成(祝)
で、気になるお味は。。。
スパイシーながらもガツンとヤギの味がする、食べれるアイドルの名にふさわしいものでした。
諸々改良の余地はありますが、磨きあげを進めていけば新たな喜界島の特産品となる可能性も秘めておるわけです。
事業者のみなさん、ビッグビジネスの予感がしますよ!
ということで、参加していただいた皆様、ありがとうございました。
2015年01月19日
鹿児島最北端の地
鹿児島市内のマスコミや関係各所を周った後は、
鹿児島県最北端の地
長島に行ってきました。
昨年度まで商工会の相談員として喜界島に赴任していたチャラい人が住んでいるのです。
ちょうどこの時期、長島町ではイベントがあり、彼が鹿児島島では来れないということで、

バカンスがてら、電車を乗り継いで行ってきました。
無人駅まで迎えに来ていただいた後は、短いながらも島内を周遊。


熊本県まで見渡せる公園の下には

見晴らしの良い展望台がありました。
喜界島を離れて約半年。喜界島の事は奥さんも都度気になるようで

喜界島の郷土料理を紹介したテレビ番組なんかもチェックしているようです。
夜はというと

ロケーションが最高なお宿で

豪華な海の幸をいただきつつも

相変わらずなところもあり、息抜きにはちょうど良い日となりました。
鹿児島県最北端の地
長島に行ってきました。
昨年度まで商工会の相談員として喜界島に赴任していたチャラい人が住んでいるのです。
ちょうどこの時期、長島町ではイベントがあり、彼が鹿児島島では来れないということで、

バカンスがてら、電車を乗り継いで行ってきました。
無人駅まで迎えに来ていただいた後は、短いながらも島内を周遊。


熊本県まで見渡せる公園の下には

見晴らしの良い展望台がありました。
喜界島を離れて約半年。喜界島の事は奥さんも都度気になるようで

喜界島の郷土料理を紹介したテレビ番組なんかもチェックしているようです。
夜はというと

ロケーションが最高なお宿で

豪華な海の幸をいただきつつも

相変わらずなところもあり、息抜きにはちょうど良い日となりました。
2014年11月08日
お家断絶の危機回避の旅 その6

日本の奥座敷と呼ぶにふさわしい
平泉寺を堪能した後は

勝山城下で
地元の乳牛の乳でつくったアイスをいただき


かつて養蚕で栄えた時代にタイムスリップです。

この日の天気はあいにくの雨ということもあり、体験コーナーは大賑わいでした。
この施設は地元のNPO団体が運営しているそうです。


勝山名物のおろしそばとソースカツ丼を頂きながら
勝山市の観光協会の事務局長ともお話が出来ました。
受入体制の確立や情報発信の方法まで
私が喜界島で目指すべき姿を具現化している部分が多くあり、とっても勉強になりました。
勝山を知るにはこのページが良く分かります。
勝山ふるさと物語
午後からは恐竜三昧ということで、向かったのは


福井県立恐竜博物館
今や福井県の代名詞となっている「恐竜」コンテンツがギュッと詰まった施設です。
ちなみにこの施設、設計は今は亡き高名な建築家の手によるものだそうで、周囲の里山の景観とのバランスに配慮した外観でした。

連休の中日ということもあり、駐車場には他県ナンバーの車がズラリ。
で、中は超満員。チケットを求めて1時間待ちぐらいの行列が出来ていました。


太古の歴史を深く知ることが出来るとともに


テクノロジーを取り入れた仕掛けも盛りだくさんでした。
この施設、ターゲットは子供をメインにしたファミリー層。
なので、子供が喰いつく展示になっておりました。
敷地内には地元の事業所もお店を出しており



男心をくすぐる体験コーナーもありました。

博物館からはシャトルバスが運行し

現在発掘中の土砂を使った

発掘体験も行われておりました。
発掘体験の受け入れは学芸員さんだけじゃなく、地元のNPOも参加しているそうです。
喜界島でも

遺跡が次々と発掘されており、「発見」だけじゃ終わらない展開が必要なので非常に勉強になりました。。。
と、朝から夕方までじっくり勝山を堪能することが出来ました。
以前の記事でも書いたように
普段お客様と接する方々が受入の主人公となり、目の前のお客さんに「いかに喜んでいただけるか」を真剣に考え、実行していくことでサービスとして確立させていく姿を実際に見ることが出来、大変勉強になりました。
喜界島の観光はまだまだ未熟ですが、目指すべき手本が見えたことで、「今、何をすればいいか」に繋がっていければと思います。
アテンドしていただいた松村さん、ありがとうございました。
また、このようなご縁をいただいた川畑さん、ありがとうございました。
2014年11月07日
お家断絶の危機回避の旅 その5
恐れ多くもありがたい、勝山副市長による勝山観光は

越前大仏からスタートです。
勝山出身者が資材を投じたこの社殿、中のご本尊は奈良のよりも大きいのだそうです。
あとビックリなのが敷地面積。
社殿や門だけじゃなく、門前町まで作ったそうです。
こんだけ広けりゃ

ソードアクション満載な映画のロケ現場にうってつけかもしれません。
ハリウッドの映画関係者にオススメしたい所です。
続いて向かったのが

平泉寺。参道途中にある施設からガイドさんが案内してくれました。
神社に向かう参道には


北陸最古の庭園もありました。
なんといってもすごいのは地面にびっしり生えた”苔”
雨模様の天気だったこともあり、フカフカな絨毯のようでした。



写真だけじゃ表せない、独特の雰囲気は病みつきになりそうです。
外国人の方々にも好評で、年間35万人の方が訪れるのも納得できます。


ここら辺一帯は6千人のお坊さんがいたそうです。
敷地面積が広大なことから、発掘がいつまでたっても終わらないんだそうです。
それにしても広大な敷地に大勢の僧侶
教育、医療、エンターテイメントと
昔の宗教は総合サービス業だったなあと思うのでした。
京都とは違い、どことなく落ち着いたたたずまいで歴史を重ねてきた平泉寺一帯は
まさに日本の奥座敷と呼べるのかもしれません。

越前大仏からスタートです。
勝山出身者が資材を投じたこの社殿、中のご本尊は奈良のよりも大きいのだそうです。
あとビックリなのが敷地面積。
社殿や門だけじゃなく、門前町まで作ったそうです。
こんだけ広けりゃ

ソードアクション満載な映画のロケ現場にうってつけかもしれません。
ハリウッドの映画関係者にオススメしたい所です。
続いて向かったのが

平泉寺。参道途中にある施設からガイドさんが案内してくれました。
神社に向かう参道には


北陸最古の庭園もありました。
なんといってもすごいのは地面にびっしり生えた”苔”
雨模様の天気だったこともあり、フカフカな絨毯のようでした。



写真だけじゃ表せない、独特の雰囲気は病みつきになりそうです。
外国人の方々にも好評で、年間35万人の方が訪れるのも納得できます。


ここら辺一帯は6千人のお坊さんがいたそうです。
敷地面積が広大なことから、発掘がいつまでたっても終わらないんだそうです。
それにしても広大な敷地に大勢の僧侶
教育、医療、エンターテイメントと
昔の宗教は総合サービス業だったなあと思うのでした。
京都とは違い、どことなく落ち着いたたたずまいで歴史を重ねてきた平泉寺一帯は
まさに日本の奥座敷と呼べるのかもしれません。