2016年10月16日
私が故郷に帰る理由
そろそろリリースしてもいい頃なので書きます。

来年、故郷に帰ることにしました
日本中をバイクでプラプラ回ったあげく鹿児島に住み、またまたプラプラしてたら喜界島に住んでて、気づけば今の仕事をしてるという勝手気ままな生活をしておりましたが、不惑を迎えたのを機に、大きく分けて2つの理由で帰る決心を固めました。
1.介護
私や親も例外なく老いていくわけで、誰かが必ず面倒見なきゃいけません。
故郷の母親は一人暮らしゆえ一軒家で雪かきもさせたくないものですから
5年前から駅近くで病院や郵便局、買い物も徒歩で行けるマンションに住んでもらっております。
おかげさまで今はまだ健在ですが、70歳代に突入する10年後にはどうなるか分かりません。
もし10年後要介護になった場合、私の年齢は50です。50になってさあ帰ろうと言っても故郷に居場所なんかあるはずはなく、まだ需要があるうちに故郷に帰り、しかるべき時に備えて居場所を作っておきたいのです。
いささか話が飛躍しすぎとのご意見もおありでしょうが、高校時代に祖父がクモ膜下で倒れて亡くなるまでの10年間、家族・親戚での介護を見て知ってる私には極めて現実的なお話なのです。
2.故郷でチャレンジしたい
この5年間、観光や特産品に関わる仕事をしてきましたが、まだまだ商業ベースでは未熟な部分が多いため、地域の方々の協力を仰ぐことも少なくなかったわけです。

人どころか、ヤギまで使っておりました。。。

今まで全ての企画・受入が大成功だったかといえばそうでもなく、お詫びにうかがう事も少なくなかったわけですが
そんな時でも協力していただいた方からは、
「生まれて育ったところに関心を持ってくれるのがうれしい。喜んでもらえるともっと嬉しい。次の機会にも声をかけてほしい」旨の言葉をたくさんいただきました。
そういうことを繰り返していくにつれ、初めて自分の故郷が気になるようになりました。

で、こんなご時世ですから、地元の先輩や同級生と連絡を取るようになりました。

私の故郷、富山県砺波市庄川町は人口7,000人程の小さな町です。ていうか平成の大合併で砺波市になりました。
バスは2時間に1本、駅はなし、高校もなし、と喜界島より不便かもしれません。
合併したせいか時代の流れからか、車で15分ぐらいのところにイオンとかが建つようになり、旧庄川町の商店街は無くなりました。
お店の跡取りだった子たちは今市役所とかで働いてます。

そんな、どんどん不便になっていく私の故郷でも同級生が居酒屋を出したり、市役所勤めしてる先輩がイベントで大勢のお客さんを集めたり、故郷の道の駅で喜界島の特産品を販売してもらったり、

故郷の醤油会社が喜界島の白ゴマを使ったしゃぶだれを作ってくれるようになり、その話を聞いたり、実際に関わったりするうちに、小さいころバカやってた同級生や先輩たちと故郷に貢献できないかと考えるようになりました。
喜界島に来てから今年で9年目となります。故郷に帰って新しくチャレンジし、そこで居場所を作るのにも9年かかるとしたら、その時私の年齢は49歳です。もう良いオッサンです。
。。。というのが理由です。
先日、後任も無事決まったので、残り半年足らずで引き継ぎやOJTを進めていく予定です。

来年、故郷に帰ることにしました
日本中をバイクでプラプラ回ったあげく鹿児島に住み、またまたプラプラしてたら喜界島に住んでて、気づけば今の仕事をしてるという勝手気ままな生活をしておりましたが、不惑を迎えたのを機に、大きく分けて2つの理由で帰る決心を固めました。
1.介護
私や親も例外なく老いていくわけで、誰かが必ず面倒見なきゃいけません。
故郷の母親は一人暮らしゆえ一軒家で雪かきもさせたくないものですから
5年前から駅近くで病院や郵便局、買い物も徒歩で行けるマンションに住んでもらっております。
おかげさまで今はまだ健在ですが、70歳代に突入する10年後にはどうなるか分かりません。
もし10年後要介護になった場合、私の年齢は50です。50になってさあ帰ろうと言っても故郷に居場所なんかあるはずはなく、まだ需要があるうちに故郷に帰り、しかるべき時に備えて居場所を作っておきたいのです。
いささか話が飛躍しすぎとのご意見もおありでしょうが、高校時代に祖父がクモ膜下で倒れて亡くなるまでの10年間、家族・親戚での介護を見て知ってる私には極めて現実的なお話なのです。
2.故郷でチャレンジしたい
この5年間、観光や特産品に関わる仕事をしてきましたが、まだまだ商業ベースでは未熟な部分が多いため、地域の方々の協力を仰ぐことも少なくなかったわけです。

人どころか、ヤギまで使っておりました。。。

今まで全ての企画・受入が大成功だったかといえばそうでもなく、お詫びにうかがう事も少なくなかったわけですが
そんな時でも協力していただいた方からは、
「生まれて育ったところに関心を持ってくれるのがうれしい。喜んでもらえるともっと嬉しい。次の機会にも声をかけてほしい」旨の言葉をたくさんいただきました。
そういうことを繰り返していくにつれ、初めて自分の故郷が気になるようになりました。

で、こんなご時世ですから、地元の先輩や同級生と連絡を取るようになりました。

私の故郷、富山県砺波市庄川町は人口7,000人程の小さな町です。ていうか平成の大合併で砺波市になりました。
バスは2時間に1本、駅はなし、高校もなし、と喜界島より不便かもしれません。
合併したせいか時代の流れからか、車で15分ぐらいのところにイオンとかが建つようになり、旧庄川町の商店街は無くなりました。
お店の跡取りだった子たちは今市役所とかで働いてます。

そんな、どんどん不便になっていく私の故郷でも同級生が居酒屋を出したり、市役所勤めしてる先輩がイベントで大勢のお客さんを集めたり、故郷の道の駅で喜界島の特産品を販売してもらったり、

故郷の醤油会社が喜界島の白ゴマを使ったしゃぶだれを作ってくれるようになり、その話を聞いたり、実際に関わったりするうちに、小さいころバカやってた同級生や先輩たちと故郷に貢献できないかと考えるようになりました。
喜界島に来てから今年で9年目となります。故郷に帰って新しくチャレンジし、そこで居場所を作るのにも9年かかるとしたら、その時私の年齢は49歳です。もう良いオッサンです。
。。。というのが理由です。
先日、後任も無事決まったので、残り半年足らずで引き継ぎやOJTを進めていく予定です。
ブログを引っ越します。
さいならっきょ♪
つないで、紡ぐ
10万PV越えで思うこと その2
10万PV越えで思うこと その1
行く年来る年
勝手にランキング~2012夏~
勝手にランキング
大事な仲間たち
返事が遅くなってごめんなさい
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Posted by レイド at 17:00│Comments(0)
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